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疑問からヒントへ
代表の柘植伊佐夫は1980年代からモード界でヘアメイクアーティストとして活動していました。多くのファッション誌、コレクションや広告に携わり、1995年から映画を担当し始めました。当時の日本映画界は低迷期から抜け出そうとしていた復活期で、何本か作品を担当させていただくなかで同じ疑問を覚えることがありました。たとえばそれはこのようなものでした。
「どうしてこの衣装にこの靴を合わせるのだろうか?」
脚本を読んだ衣装部が衣装を、小道具部が靴をそれぞれの判断で用意しており、各部ごとの予算配分や美的文脈も違っていて、単品で見れば良いかもしれないものも相互に合わせると不釣り合いになり、「統一した美的視点がない」状況が生まれやすかったのです。
またこのような疑問も覚えました。
「どうして衣装家や役者がヘアメイクについて発案するのだろうか?」
もちろんこのようなケースばかりではありませんが少なくはありませんでした。衣装家は衣装を引き立てるために、役者は自己表現を円滑にするために提案をしてくださいます。作品への愛情からすれば当然でありがたいものです。しかし全体表現からするとその発案は部分を担っていても、美的統一、客観性、予算、人員、期間の全てに行き届いた責任を負っていないのも事実です。キャリアや立場、意見力の上下によって「他分野に対して発案するが影響の責任は取れない」という矛盾が見受けられたのです。
このようなことも思いました。
「監督は衣小合わせで方向性や具体性を示すが撮影に入ればそれどころではなくなる」
大きな作品では撮影が始まりますと、扮装に対して監督やプロデューサーが遠い存在になりがちです。もちろん当人はそのようなつもりはありません。めまぐるしい状況変化に扮装の連絡は助監督が担い、助監督は他の仕事にも忙殺されます。結果決済日が迫りそれぞれの部が独自に判断せざるを得なくなります。
本番が続く中で新たなデザインや改変、メンテナンスによる表現の変化は必ず起こります。監督や演出に全ての指示を仰ぐのは当然ですが、戦争のような状況の中で「これは仰ぐ必要があるだろうか」と事前に気を回して、各部が独自の解釈で準備を進めることもあり、それが時間切れとともに蓄積してコンセプトの一貫性の低下を招きます。「容姿に関するすべての部を束ねるリーダーが不在である」ことによって質が管理されていなかったのです。
そのような疑問を持った柘植は、
「統一された美学」
「統一された責任」
「統一されたリーダーシップ」
の三点がうつくしいひとを生み出す上で大切だと考えるようになりました。
ヘアメイクアーティストから人物デザイナーへ
2005年、アメリカの現代美術家マシュー・バーニーのアートフィルム『拘束のドローイング9』にビューティーメイクアーティストとして参加しました。当時彼は時代を牽引する偉大な現代美術家のひとりであるとともに、やはり素晴らしいアーティストのビョークがパートナーで、作品は彼女と共演する内容でした。1998年『フジロックフェスティバル』で柘植も彼女を担当していたので現場はとてもクリエイティブかつスムーズに運びました。
ニューヨークにあるマシューバーニースタジオのメンバーは様々なエキスパートが揃う工房でした。常駐スタッフとアウトソーシングのスタッフの混成で、適度な人数と仕事の割り振り、マシューの強いリーダーシップでまったく無駄なく作品が作られていました。ここで見るような、一つの目的に対して一貫した考えとシステムで動くアーティストと技術者の関係こそ目指す仕事のやり方だと柘植は確信を持ちました。

2008年、映画『ゲゲゲの鬼太郎千年呪い歌』でヘアメイクのプランナーにとどまらず、「キャラクターデザインとその制作の統括を担当して欲しい」という依頼がありました。当初その業務内容の種類と量の多さに固辞しましたが、プロデューサーの強い要望でそれを受けました。結果的にはこれが人物デザインの始まりとなりました。数人のキャラクターデザイナーと衣装デザイナー、ヘアメイクアーティスト、特殊メイク、特殊造形、カツラ制作のチームを編成し、柘植がコンセプトデザイン、チームのディレクションとプロデュースを担当、全ての情報と予算の流れを統合してキャラクターを作りました。結果これまでの作品に比較して成果物に徹底した一貫性を生み出すことができました。
NHK大河ドラマと人物デザインの確立
しかし柘植は、人物デザインの方法で映画制作するのもこれ一本だろう、と思っていました。なぜならあまりにポピュラーではないやり方であるのと、他の製作者の想像が及ばないだろう、普及性がないだろうと考えたからでした。しかしその予想に反して三池崇史監督がこの方法に着眼し『ヤッターマン』『13人の刺客』など連続して依頼をくださいました。その間に『おくりびと』やレオス・カラックス作品など、通常のビューティーディレクション担当を織り交ぜながら、2010年にNHK大河ドラマ『龍馬伝』の依頼がありました。
当時、福山雅治氏の担当をしていた柘植は、龍馬役の氏から「大河ドラマを担当して欲しい」と声をかけられ、NHKサイドと話を詰めていく中で、扮装全体の統括を担当することになりました。これは大河ドラマ50年の歴史の中で初めての出来事で、柘植のために『人物デザイン監修』というポストが作られました。『龍馬伝』が長い大河ドラマの歴史の中でも、「リアリティーの表出」という意味で特筆するポジションであることは、ご覧になった方であれば皆さんがご理解願えることでしょう。これによって人物デザインの存在は全国的に周知されるところとなりました。その後、大河ドラマ『平清盛』を終えて、2012年第30回毎日ファッション大賞鯨岡阿美子賞を「人物デザインの開拓」によって受賞。大河ファンタジー『精霊の守り人 (全三部)』を担当し、人物デザインの方法論を確立しました。


